マルタ騎士団が、活躍した中世16世紀
中東から東ヨーロッパ、地中海に面したアフリカの国まで、広大な領土を支配していたのは今のどこの国かご存知ですか?
トルコです。
今回は、当時のトルコであるオスマン帝国と、マルタ騎士団の奇跡の戦いについてご紹介します。
マルタ騎士団の誕生

マルタ騎士団の前身である「聖ヨハネ騎士団」は、エルサレムに巡礼するキリスト教信者に医療と泊まるところを提供するため、12世紀にエルサレムで誕生しました。
そんな戦いとは無縁に思えた聖ヨハネ騎士団ですが、時代が許しませんでした。
イスラム勢力により、エルサレムが陥落してしまったため、聖ヨハネ騎士団は “アッコン”(現イスラエル)に逃げ延びることになります。
そして、逃げ延びたアッコンも、イスラム勢力に攻め落とされ、”ロドス島”(現ギリシャ)に本拠地を移す事になるのです。
しかし、イスラム勢力は、まだまだ許してくれません。
ロドス島も、なんと16世紀のオスマン帝国の攻撃により明け渡すことになります。
こうして、ロドス島から出ることになった聖ヨハネ騎士団は、地中海の中央に位置するマルタ島に本拠地を移し、マルタ騎士団と名前を変えるのです。
100%勝てない、強すぎるオスマン帝国
マルタに本拠地を移したマルタ騎士団に再び試練が訪れます。
1565年、あのオスマン帝国がまた襲ってくるのです。(しかも、すごい強い)
いわゆる「マルタ包囲網」と呼ばれる、16世紀ヨーロッパで最も有名な出来事のひとつです。
戦力差は、マルタ騎士団と周辺国の助っ人兵をあわせて、6,000人ほどに対し、
なんと、オスマン帝国の兵士の数は、
48,000人(マルタ軍の8倍です)
しかも、オスマン帝国はこれまでの戦いで1度も負けたことがありません。
こんな最強オスマン帝国に、勝てると思いますか?
それが、勝っちゃうんです。
マルタ騎士団は、オスマン帝国との戦いに備えて、首都のヴァレッタを要塞化していました。過去の敗北が活かされたのかもしれませんね。
人数で圧倒的に勝るオスマン帝国は、聖エルモ砦を陥落し、マルタ騎士団を追い詰めますが、ヴァレッタの城壁を完全に破ることはできませんでした。
マルタ騎士団は、見事に守り切り、防衛に成功するのです!
オスマン帝国にとって初めての敗北でした。
マルタ島の首都ヴァレッタは今やヨーロッパ最強級の城砦都市と言われています!
ちなみに、ヴァレッタという名前の由来は、
オスマン帝国からマルタを守り抜いた、当時のマルタ騎士団長の名前(ジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレット)が元になっています。
マルタの英雄中の英雄ですね。

ヴァレッタの街全体が、世界遺産になっているのも納得です。

もし、マルタがオスマン帝国に負けていたら
マルタ騎士団の勝利は、マルタだけではなく西ヨーロッパにとっても重要なものだったと想像します。
というのも、なぜオスマン帝国がマルタを攻めたのか?
それは、地中海の中央に位置するマルタを落とし、マルタ島を拠点に西ヨーロッパを攻める予定だったからです。
もし、マルタがオスマン帝国に陥落していたら、次はイタリア、フランス、スペインなども攻められ、西ヨーロッパもオスマン帝国の支配下になっていた可能性があるのです。
現在の西ヨーロッパ文化が残っているのも、マルタ騎士団のおかげと言っても過言ではないかもしれません。